図4.pngインターネットを見ていたら、考えさせられる記事に出合いました。それは甲子園球場近くのある食堂が、お腹を空かせた労働者や高校球児がおなか一杯に食べられるようにと創業以来(一九六六年)続けてきた大盛りカツ丼をやめたという記事です。ご飯の量は一膳で二.八合だったそうですので、かなりの大盛りです。やめた理由は写真だけ撮って残す人が続出するようになったためだということでした。カツ丼の写真を撮ってインターネットに載せる、いわゆる「インスタ映え」目的だったのでしょうか。

 同時期に、食事の時「いただきます」をあまり聞かなくなったという話を聞きました。本来、食事は私のいのちを生かすものとして「いただくもの」であり、食事を「いただく」とき、「おかげさまで」や「もったいない」の心が備わり、自然に「ごちそうさまでした」と終わります。それが食事を「映えるためのもの」と見たとき、目の前にある食事は私の虚栄心を満たす道具となります。そこにはおいしいも、感謝の気持ちも、それを用意してくださった方々を労う気持ちもなく、ただ、「どうやったらきれいに映るだろう」という気持ちしかないのでしょう。お金の対価としての「もの」と考えているのかもしれません。お金を払ったから食べて「当たり前」、残しても「もったいない」はありません。でも、考えてみたら私の口に入るものはすべて「いのち」だったはずなのです。

 食事の席で「いただきます」「ごちそうさま」と手を合わせることをどうか忘れないでください。お子様やお孫様が「いただきます」をしなかったら、きちんとしなさいと教えてあげてください。小さなことかもしれませんが、それが失われることによっていま大きなほころびとなってきている気がします。(住職)