触光柔軟の願

岡本信之

 大無量寿経に法蔵菩薩(ほとけ様)の本願として触光柔軟(そっこうにゅうなん)の願があります。
『もし私が仏となることができても、十方世界の人々が私の光明をその身に親しく感じて、身も心も素直に柔人天を超え、勝れた喜びが与えられないなら誓って仏のさとりを得ることはいたしません。』
 お言葉のとおり仏の光に遇わせて頂くと、おのずから柔和な心に変えられます。お念仏に遇うとはこの触光柔軟の願に育てられることです。
 意地っ張りでさびしがりやで頑固者、とことんまで突っ走るといった生き方をしてきた人がお念仏に遇う機会が多いようです。そしてお念仏によって自分の姿に気づかされ、このような者も黙って受け止めて下さる大きなお慈悲の中で生かされているのだと、喜ばれる世界が開かれてくるのです。
 悪いことをしたことがないと思う人自分立派だと思いますからお慈悲をいただきにくい面があります。やんちゃでやかましく向こう見ずな人、ことに主人と早く死別した人などは優しくしていては子供を育てられませんので大抵は気が強く、あちこちとぶつかって問題を起こしながら、それがご縁となってお念仏に遇う機会が与えられるのでしょう。そして教えに遇い得たと気づかされると、今まで悪いなあ、困ったなあと思っていたことがかえってそのお蔭だったと喜ばずにはいられなくなってくるのです。

 触光柔軟の願、お念仏に教えられます。