一口法話 −別れ−

                              岡本信之

 夫婦、親子、兄弟、友人、不思議な出会いがあれば必ず別れの時が来る、と知りつつも、いざとなるとおろおろしてしまう私たちであります。
 死の縁無量、老少不定−私たちはどのようにして、またいつ死んでいくのかその時になるまでわかりません。癌かクモ膜下か、事故か自殺か、火に焼かれてか水に溺れてか、ぽっくりか長患いしてか、他人に刺されてか馬に蹴られてか。生れてすぐに逝ってしまう赤ちゃんもあれば可愛い盛りに逝ってしまう子もある。十代で、二十代で、三十代で、五十、六十代で。どちらが先に逝くかこれも全くわかりません。
 医学の進歩はめざましいものがありますが、その医学の力をもってしてもどうすることもできなくなってしまうのがこの別れの時のようです。この時ばかりはお金も地位も名誉も、人の力も愛情も全く役に立たなくなってしまいます。
 そして後からは何とでも言うことができます。
  「もっと早く大きな病院に行っておれば・・・」
  「あんなに飲まなきゃよかったのに・・・・・」
  「自業自得・・・・・」
  「日が悪かった、運がわるかった・・・・」等々、どう言っても何の慰めにも力にもなり得ません。言えば言うほど自分を苦しめ、周りの人を嘆かせ、深い悲しみに落ちてゆくばかりです。
 では、どうすればこの深い別れの悲しみを乗り越えていくことができるのでしょう。自分自身に「さあ頑張っていこう、しっかりしなくっちゃ、くよくよしないで、明るく楽しく生きていこう」といくら言い聞かせても、亡くなった人の事をあれこれ思い出すだけで涙が溢れ、すぐにショボンとしてしまい力が沸いてきません。お酒を飲んでも酔っ払っている時は忘れても酔いが醒めればもとの木阿弥。大声で歌っても駄目、旅行や温泉に行っても駄目、人の励ましの言葉も時には虚しくねたましくも聞こえてしまいます。
 別れの悲しみからの出発は仏法−真実の教えとの出会いから。仏法との出会いは家のお仏壇から始めて下さい。お経を家族そろって読んでみて下さい。お経の本に書いてある言葉を繰り返し読んで下さい。お寺のご法座にお参りして下さい。お念仏して下さい。何百年と受け継がれてきた仏法は、私たちにどんな苦しみでも悲しみでも真正面からぶつかり、乗り越えていくことのできる力と安心を教えて下さったのです。

 

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