川崎のある病院で三年前に起こった安楽死事件のことが最近のニュースで話題になっています。女性医師が五十八才の男性患者に筋弛緩剤を投与し死亡させたという事件です。。事が公になった今,意志と家族の主張の食い違いや病院の対応に深い疑問を投げかけています。そもそも日本では安楽死は医療行為とは認められていません。 ですから警察はこの件を殺人事件として捜査しているようです
安楽死とは苦痛の少ない方法で人を人為的に死なせることをいいます。
今頃よく、次のような会話を耳にします。
「もしもの時は苦しみ悶えて行くのはいやだからモルヒネでも打って早く死なせてくれ」と。
今元気な時は口では簡単に言えるけれども実際には,医者の立場からすれば後で殺人罪にでもなれば大変なので極力避けるに違いないし,患者の家族にとっても早く死なせてあげて下さいなどと言えたものではない。
私の友人の医者が言いました。
「肉体的苦痛は人の細胞や神経が病気と戦っているときに起きるもので苦しい苦しいと唸り絶叫している間は,まだ人は死なない物だよ。人が死ぬときは意識も無くその人の力のすべてが弱ってスーと逝ってしまうもんだよ。」
誰しもが楽に死にたいと思うが,昔から死ぬ事は苦しいことだといわれている。 楽な死はない。 仮に患者とその家族と医者と同意をして人為的に楽に死なせたとしても死の苦しみは変わらない。 むしろ苦しんで苦しんでいくかポックリ逝くか,自己でいくやら、火に焼かれていくやら,癌でいくやら、くも膜下でいくやら、死は人それぞれにそのままを受け入れていく以外にはない。
医学の進歩は目覚しいものがあります。 しかし反面今までなかった問題を多く抱えています。人工呼吸器や点滴による延命治療,医師との会話のない先端医療技術。誰でもが平均寿命ぐらいまでは生きられるという錯覚、病院や医者への責任転嫁,特別養護老人ホームの拡大などなど。 誰でもが迎えなければならない死は実に苦しい問題が山積みしています。
「真実信心の行人は摂取不捨のゆえに正定聚の位に住す。このゆえに臨終まつことなし」
平生業成、お念仏申す者は息が切れたそのときが,間違いなくお浄土である。