そもそも宗教あるいは信仰は、教えを宗(中心)とするものでなければならない。仏教は仏様の教え、すなわち経典を
学び、キリスト教は聖書、イスラム教はコーランの教えを学ぶ。それぞれの教えを学び信じ順うところに、心の安らぎと人生
の様々な苦難を乗り越えていく心の支え(信仰)を恵まれるのである。
ところが昨今の日本の宗教事情を鑑みるに、特に仏教の場合、仏様の教えを学び聞くことがあまりなされていないように、
思えるのである、お正月の初詣に始まり、お盆の人口大移動、お彼岸のお墓参り、奈良や京都の寺院観光、仏像拝観
等々、見たり祈ったり願ったりは誠に盛んである。またお守りやお札はいたる所に氾濫している。お仏壇が家にあっても、水
やお花を熱心に替えることはあっても、家族そろってお経をあげたり、経典に親しむことはない。かろうじて自分の家の宗教
は浄土宗だ、禅宗だと知ってはいても、その教えがどういう教えであるのか、何を拠り所とし、何が尊いのか、何が大切な
のかをちゃんと理解している人はまことに少ないのではないだろうか。人生の苦難を乗り越え、道に迷うことなく、強く明るく
生きぬくには仏法を聞くことが一番である。そこに人生の本当の意義と、ひとり一人のいのちの尊さを教えられるに違いない。