一口法話
―家族の絆はどこにー 諺に学ぶ 岡本信之
今、日本で核家族化が広がり家族の崩壊が始まっている。年寄り夫婦は子供や孫たちと別々に暮らし、会話もない。病気になればすぐさま病院やホームに。医療技術の発展のおかげで(?)長期入院。年金だけでは賄えないので病院を転々。どちらかが欠ければ直葬か家族葬。一人残されて寂しい一人暮らしの老人が推計二百万人、亡くなって一週間後に発見されるケースが何万だそうだ。どこへ行ったやら行方知らずの百才を越えたお年寄りが三百人という。年間の自殺者は三万人を越え、家庭内暴力や、児童虐待の数は増える一方。ニート、引きこもりの若者は二百万人を越え、住所不定、無職の人は数えきれない。
前にも記したが、親が死んでもご遺体を病院から直接火葬場の霊安室に運んでもらい、翌朝、家族だけが集まって、お経をお坊さんにあげてもらうわけでもない,、何もしないで火葬して、お骨はその日に葬儀屋さんに預けてしまう人が数万人にのぼると言われています。
今日本は、やれマニフェストだ、やれ円高だ、やれ株安だ、やれ選挙だなどと戯言を言っている暇はない状況に陥っていることを世の偉い人たちは認識しているのだろうか。
諺という、昔から人々の間で言い習わされた風刺、教訓、知識などをもった簡潔な言葉がある。家族の有り様をその諺に学んでみよう。(広辞苑より)
親思う心にまさる親心―子供が親を大切に思う孝行の心よりも親が子供を思う慈愛の方がより深いものである。
這えば立て、立てば歩めの親心―子供がつつがなく成長するのを願う親の気持ち。
子をもって知る親の恩―自分が親になり子供を育ててみてはじめて親のありがたみがわかり親の恩をつくづく感じる。
かわいい子には旅をさせよーかわいい子供はついあまやかしがちになるが、本当にかわいかったら世の荒波にもまれて世の中のつらさ苦しさを経験させた方がよい。
石に布団は着せられずー親が死んでしまってからでは、したくても孝行はできない、もう遅い。
便りのないのはよい便りー人は何か問題がおこらないと手紙を書いてよこさない。だから手紙が来ないということは無事でいる証拠であり、つまりはよい便りと同じことである。
それぞれに味わい深い諺です。自分勝手な考えや行いを改めていきたいものです。「昔と今とは考え方も、行動も環境も違ってきている。現代風に物事を考え、行動することが大事である。」と言う人も多いに違いない。しかし、あまりにもひどい現実に「どうしたらいいのだろう?」と悩んでいる人の方が多いのではないだろうか。解決策は、私たちの家族の中心にお念仏があること、それ以外に考えられない。