一口法話
もしもシリーズ その五 岡本信之
もしも私がお念仏のご縁に遇わなかったら
もしも私がお念仏のご縁に遇わなかったら、一人寂しく苦しいまま人生を終えてゆかねばならないに違いない。
先日、末期がんの患者さんのお世話をしておられる二人の方とお話しする機会があった。お二人とも乳がんの手術を数年前にして、リンパに転移が認められると医者に言われている。いつまたあの恐怖が襲ってくるかわからない状態だそうだ。しかし到ってお二人とも穏やかで笑顔の絶えない方たちであった。よく聞くとお二人とも「がん患者の会」である浄土真宗の僧侶を通して仏縁に遇ったとのことである。もともとはクリスチャンだったそうである。しかしお二人の僧侶たちへの不満と不審は大きなものであった。末期がんの患者に対する僧侶の姿勢がみんな違っていたことである。ある僧侶は患者の枕元で大きな声でお経を唱え始めたという。お経の力で容態が良くなるというのである。またある僧侶は息も絶え絶えの患者さんに向かって、「しっかりして、がんばってください!」と。またある僧侶は、だまって患者の手を握りじっとしているだけ。またある僧侶はもう葬式の話を始めている。何と無神経な僧侶かと思ったそうである。またある僧侶はお念仏を一緒に唱えましょうと患者さんに一生懸命に説得していたそうである。声を出すこともできない患者さんに。仏法に縁の薄い患者さんに、どんなに一生懸命お念仏が尊いと話しても何の意味もないとお二人は言い切った。がんに苦しんでいる、縁無き衆生には僧侶は何もできないのか、と。
お念仏の教えは自分が聞かねばならない。親子であっても、夫婦であっても、お互い一人ひとりが聞かなければ、お念仏の尊さを味あうことはできないだろう。
もしも私がお念仏のご縁に遇わなかったら、一人寂しく苦しいまま人生を終えてゆかねばならないに違いない。