17.受け継がれてきたもの              

                   

「暑さ寒さも彼岸まで」とか「光陰矢のごとし」とか「和をもって貴しとなす」とか昔から言い伝えられてきたことは、「なるほどなあ」「本当だなあ」とうなずかされることばかりです。本当のこと、変わることのない、真実だからなのでしょう。

 葬式仏教、とお寺や坊さんや仏教を批判的に見る人たちが多くなっています。「意味の分からないお経なんか聞いても何にもならない。」「戒名(法名)もお墓もいらない。」「葬式無用。」「念仏を称えてなんになるの。」などと声高に言うのです。考えてみると、お経は二千年以上も受け継がれてきたものなのですね。戒名もお墓も、身内が亡くなって葬式をしないなんて、そんなこと今まであったのでしょうか。念仏の意味も意義も知らないで何にもならないなんて。鎌倉時代の人も、江戸時代の人たちも皆、お念仏に救われ、助けられ大きな安心と喜びと勇気を恵まれたが故に、真実のお念仏であったが故に、二十一世紀になる今までずっと受け継がれてきたにちがいありません。

 むやみやたらに自分の意見や思いばかりを主張しないで昔から受け継がれてきたものを大事にしてゆくことが、心の底から肯かされ、信念と勇気を持って生きてゆくことのできる道ではないかと思うのです。

 未知の世界にも人類の夢は果てしなく広がってゆきます。お月様に人間が飛んで行ったのはもう随分前のことです。今度は火星。地球から約一億キロ離れている火星の写真を見てわくわくしています。人間の成し遂げる科学技術の発展は止まるところを知りません。医学の世界も、どの分野においても、びっくりすることばかりです。なんでも便利になって豊かになって、どんなにか今の人間は幸せになったことでしょうか。

 ところがどっこい、俺が俺がの世界の中で、腹を立て妬み嫉み、嘲り泣き悲しみ、苦しみもがいているのが現実のように思えてならないのです。

 昔からずっと受け継がれてきたものの中に、この私がいます。ほとけさまの尊い大事ないのちを恵まれた私です。このいのちが長かろうと短かろうと、安らかに終わろうとも苦しんで終わろうとも、心の底から「良い人生だった。」と肯いてゆける幸せを先哲方が教え伝えて下さっているのです。

 それがお経であり、お念仏であり、仏教であります。