一口法話
安らかなる死 岡本信之
親鸞聖人は弘長二年(一二六二年)、京の詫び住まいで末娘の覚信尼公に看取られて静かにお亡くなりになったと言い伝えられています。御年九十才でした。その頃、高僧が亡くなると天の一方に音楽が鳴り響き、西方から阿弥陀如来が迎えにお出でになると言われたものでした。ところが聖人が亡くなられたときは何事もなく、いかにも平凡なご往生でしたので娘にすれば、父、親鸞聖人は関東の門弟達から,「権化の仁、阿弥陀如来の化身」とまで仰がれたのですから、あまりにもあっけないご往生に、ふと不安感を覚えられたに違いありません。
ところがさすがに母君の恵信尼はしっかりしていました。越後から覚信尼公に宛てた手紙の中で、「されば御りんずはいかにもわたらせたまへ、疑ひ思ひまいらせぬうへ、(殿のご臨終はどのようであろうとも、奇瑞などがあろうがなかろうが、お浄土へ往生なされたことは少しも疑いません。今さら申すまでもなく必定のことと存じます。) そして娘にむかって、
かく御こころえ候ふべし。」と書き送られています。―恵信尼消息―。
今頃、安楽死とか尊厳死いうことが盛んに言われています。
安楽死とは末期がんなど「不治」か「末期」で耐え難い苦痛を伴う疾患の患者の求めに応じ医師などが積極的、あるいは消極的手段によって死に至らしめる事です。一方、尊厳死とは人間が尊厳を保って死に臨むことをいい、不治か末期の患者の意思で延命治療をストップさせることです。二,三日前の新聞にも「延命十五病院が中止。」という記事が出ていました。患者や家族からの全面的信頼を得て実行して欲しいと思います。
誰もが死ぬときは安らかに尊厳を保って死にたいと思い願うものです。しかし、「人間の願い通り、思い通りに行かない別れであり、死である。」「死は苦しみである。」と教えられているものにとって何かしら矛盾というか、しっくりこないものを感ぜざるを得ません。医師や患者、または家族の意思や同意や信頼によってだけで人間の死を安楽に、尊厳を持って受けとめることが果たしてできるのでしょうか。ある意味で現代の医学の進歩が人間の死の観念をあまり望ましくない方向に変えてしまったのではないかとさえ思われます。死は肉体的にも精神的にも耐え難い苦痛を伴います。
親鸞聖人のお弟子の明法房が苦しんで亡くなったという知らせを受けられたときに親鸞聖人は「明法房の往生のこと、うれしく候ふ、めでたきことにて候へ。」とご返事を書いておられます。どのような別れであっても、また、どのような死に方をしても、安楽に尊厳をもって別れ、死んで行く道はお念仏のうちにお浄土に生まれ往く道以外にはないのではないでしょうか。
「かく御こころえ候ふべし。」 合掌