一口法話 岡本信之
礼拝の対象
―浄土真宗は阿弥陀如来(南無阿弥陀仏)です。―
礼拝(らいはい)と言う言葉は、つつしみ敬う心をもって合掌したり、ひざまずいたりなどして拝むという意味です。その対象は阿弥陀如来(南無阿弥陀仏)です。因みにキリスト教では礼拝は(れいはい)と読み、人々がともに神の恵みに感謝する行為をいいます。
阿弥陀如来に対してつつしみ敬う心を持つには阿弥陀如来の働き(救済)、あるいは南無阿弥陀仏のいわれを聞き学ぶことが大切です。浄土真宗の要は聞法、聴聞と言われる所以がここにあります。浄土真宗に縁の深い北陸地方のお墓の墓石にはほとんどが「南無阿弥陀仏」と正面に彫ってあります。東京近辺の墓地の墓石には「愛」「和」「ありがとう」とか中には「俺は待ってるぜ」「ここでまた会いましょう」とか千差万別です。また、お仏壇の中央にはご本尊ではなく、お位牌や遺影が安置してあるところが多いのも東京です。礼拝の対象が故人や先祖なのです。そしてお仏壇やお墓の前で、「寂しいよぉ、どうして先に逝っちゃたの、いつか私もそばに行くからね」等々独り言。手は合わせてもお念仏を称えるわけでもなく娑婆世界の愚痴ばかり。悲しみや寂しさを乗り越えてゆく力や喜びは湧いてきません。礼拝の対象は阿弥陀如来(南無阿弥陀仏)です。心
して礼拝したいものです。 合掌