一口法話       

   中道(念仏の道)をゆく     岡本信之

 中道とは仏教の基本的教義で、両極端に偏らないこと、対立する見解や態度を克服した立場、一方に偏らず穏やかなことを言う。(広辞苑)

 団扇と観劇がもとで、二人の女性大臣が辞任に追いやられた。何とも空しいというか、滑稽というか、不可思議不思議。この娑婆世界いつ、どこで何が起こるか、何がいいのか悪いのか、誰がいいのか悪いのか、何が本当なのか偽りなのか、わからないものだ。不可解、不可解、大不可解。

 是々非々、一定の立場にとらわれず、良いことを良いとして賛成し、悪いことは悪いとして反対するー日本の政治家がよく使う言葉である。しかし、往々にして良いか悪いか激論の挙句、多数決で決まってしまう。そうして決められたことが必ずしも絶対と言うわけにいかないのがこの娑婆世界のようだ。

 先日、物置を整理していたら子供が小学生の時に使っていた反対語の小さな辞書が出てきた。開いて見るとなかなか面白い。善と悪、表と裏、幸に不幸、真に偽、上手下手、希望絶望、黒白、良い悪い、賛成反対、愛、憎しみ、怒る喜ぶ、美しい醜い、健康不健康、常識非常識、優秀劣等、褒める貶す等々。

 私たちは皆両方とも持ち合わせている。良くもあれば悪くもある。表もあれば裏もある。喜びもあれば悲しみもある。

黒い部分もあれば白い部分もある。幸と思えば不幸とも思う。賛成の気持ちもあれば反対の気持ちもある。美しくもあれば醜くもある。

 ということは、私たちは本当のものを持っていないということになるのではないだろうか。

 歎異抄に

 「煩悩具足の凡夫、火宅(かたく)無常の世界は、よろづのことみなもつてそらごとたはごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておはします。」とあります。

  火宅―この世の中が燃え盛る煩悩の火に迫られて安らかに落着けない苦しみに満ちた世界であることを火事にあって焼けている家に喩えたもの。

  無常―万物は生滅流転し永遠に変わらないものは一つもない。

本当のものを持っていない私たちであるがゆえに、また

の世の万物すべてが移り変わりゆくものであるがゆえに、

真実の、変わることのない依るべきもの、すなわち念仏の

道こそが、私たちが安らかに、穏やかに生き死んでゆく

とができる唯一の道なのではないでしょうか。

 これから先の日暮しは幸か不幸か知らないが、どちらに

 なってもよろしいと確かな覚悟ができました。

 雨も嵐もあるであろう、照る日曇る日それぞれに

 生き抜く道を恵まれて心晴れ晴れ生きてゆく。合掌

 

 

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