一口法話

     浄土への道

                      岡本信之

  近頃、お浄土に参らせて頂くという事を嘲笑する人や、そんなことは現代人には受け入れられない、それは昔の人間の考えたことだ、などと言う人たちがたくさんいるようです。しかし、私はお浄土に生まれさせて頂くことを有り難く思っております。お念仏のいわれを聞かせて頂くと、なにがなんでもお浄土に参らせて頂くようになるのです。どんなに逃げようとしても、逃げられないのです。だからといって、決して死にたいとは思いません。死にたくなかろうと、どう思おうとも、お浄土に参らせていただくということが、南無阿弥陀仏であるといただいております。 先頃、えらい学者さんが死の恐怖から逃れるために一生懸命になっておられるという文章を読んで、お気の毒なことだなと思いました。知性は大事なものでしょうが、その知性にしばられることはあわれなことであります。

往生極楽を信ずるお前は馬鹿な奴だと笑われてもよい、非近代的だと謗られてもよい。

私は私自身の頭で浄土を考えることはできません。まったく分らない。しかし如来の本願を聞く身にさせて頂いたら、本願に誓われた浄土、煩悩具足、罪悪深重の私のために成就せられたお浄土に参らせて頂く身の仕合せをただただ喜ばせて頂くばかりであります。

如来の本願力によって参らせて頂く世界であります。

 

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