母との別れ!おばあちゃん、ありがとう!
岡本 信之
今年の二月二日の父の十七回忌法要では、ちゃんと着物を着て最後に、はっきりした声でお礼の言葉を述べた母だった。三月の初めに家でそこの厚いスリッパを覆いていて何かに躓き転び、腰かどこかを打って以来、歩くことが困難になり、二、三日自分の部屋のベッドに寝たままだったが、食事やトイレも侭ならず、急速に弱っていったので近くの病院に入院することになった。楽しみにしていた三月十五日の長男の結婚式には残念ながら出席できなかった。四月五日にはお寺で花まつりの法要が営まれた。その夕方、私と家内とで甘茶をポットに入れ病院に見舞いにいった。そのとき母の意識はもう朦朧として声をかけてもほとんど反応がなかった。何故か点滴の管もはずしてあった。私は脱脂線に甘茶を浸し、母の口の中にそれを恐る恐る入れると、中チュウチュウと甘茶をおいしそうに飲んでくれるではないか。夢中で甘茶を母の口に運んだ。
まるい世界の真ん中で 教えの門をうち開き かわけるひとにふりまいた 甘露の水はかぎりなし 涙を流しながら声を詰まらせながら母の枕元でこの花まつり行進曲を歌いながら、母と家内と三人で最後の花まつりをお祝いした。
翌日のお昼ごろ兄から電話があり、母の血圧が下がってきて危篤状態との事。三時過ぎ法事をおえてスクーターで病院に向かう。日曜日の夕方は中央高速の上りの渋滞がいつもひどい。家内は遅れて電車で駆けつける。病室では兄弟夫婦、孫たちがベッドを取り囲んで酸素吸入の管を鼻に入れハアーハアーと息をしている母を見守る。誰ともなく「おばあちゃーん」と声を掛ける度に皆すすり泣く。
私は居ても立ってもいられなくなり、「皆でお勤めしよう」と声をかけ、法衣を着け、力を入れて合掌し、讃仏偈を調声した。こどもも孫も皆でお勤めした。声が途切れた。涙がこぼれた。力が抜けていくやら入るやらそして最後に大きな声で皆でお念仏させていただいた。あら不思議!お勤めが終わって二、三分もしないうちに母の息の間隔が徐序に長くなり五分位して息が切れてしまった。午後六時十分だった。八十九歳だった。
母は、こどもや孫たちのお経とお念仏の声を聞きながらお浄土に往った。私たちもお経とお念仏の声に、仏様のお慈悲を胸にいっぱいに受けて母を送った。
お念仏を おばあちゃん ありがとう
これが母との最後の別れであった。 合掌